今回は中野拓夢の家族・実家についてまとめました。
中野拓夢選手の家族構成は父親・茂明さん、母親・節子さん、長男(バスケ経験者)、長女、そして次男の拓夢選手です。父親は熱狂的な阪神タイガースファンで、その影響で拓夢選手も阪神ファンに。幼少期からの練習は父親とのものが多く、特に守備能力を磨くことに注力。高校2年時には父親の夢であった甲子園出場を果たし、2020年には阪神タイガースからドラフト指名を受けています。
本記事では中野拓夢の家族構成や父親、母親について詳しくまとめています。
中野拓夢の家族構成
家族 | 家族情報 |
父親 | 中野茂明 |
母親 | 中野節子 |
長男 | 名前不明。バスケ経験者。 |
長女 | 名前不明。 |
次男 | 中野拓夢 |
中野拓夢の父親
中野選手の父親は茂明さんという方です。年齢や職業は明かされていません。
中野拓夢の父親は熱狂的な阪神タイガースファン
中野選手は、山形県生まれ山形県育ちですが、幼い頃から阪神タイガースのファンだったそうです。
中野選手が阪神タイガースのファンになった理由としては、父親が熱狂的な阪神タイガースのファンでそこから影響を受けたそうです。
しかし、山形県では阪神タイガースの試合をテレビで放送することが少なかったため、中野家は有料放送で阪神タイガースの試合を観戦していました。
小さい頃から阪神タイガースの試合を見ていた中野選手は、目標とする選手に「今岡誠」さんの名前を挙げています。
今岡さんは阪神タイガースのレジェンド的存在の選手であり、現役時代には多くのファンを魅了しました。
そんな今岡選手に憧れた中野選手は、小学生の頃に今岡選手のユニフォームを着て学校に通っていたそうです。
また、中野選手は2023年のWBCで背番号7のユニフォームを着用して出場しています。
この背番号は、今岡選手が現役選手だった頃に付けていた背番号になります。
自分から志願して着用したかは定かではありませんが、プロになった今でも、中野選手は今岡選手を目標に努力しているようです。
父親が阪神タイガースの本拠地に1度も行かなかった理由
テレビの有料放送で阪神タイガースの試合を観戦するほど、熱狂的なファンだった父親ですが、阪神の本拠地である甲子園球場には1度も足を運びませんでした。
その理由を問われた茂明さんは、「高校野球で拓夢に連れて行ってもらいたいから」と答えたそうです。
言うまでもなく、甲子園球場は全国の高校球児が夢見る舞台です。
その舞台で野球をする息子を目に焼き付けるために、茂明さんはあえて阪神タイガースの本拠地へは行かなかったのです。
中野選手と父親との猛特訓
中野選手が現在、プロとして活躍できている裏には幼少期の父親との練習がありました。
その練習内容というのが、
- 最初はバッドを与えなかった。
- チームの練習がない日もグラウンドで練習をした。
というものでした。
最初はバットを与えなかった。
中野選手は小学校4年生で野球を始めましたが、当時は体が細くて周りの子に比べて小さかったそうです。
その様子を見た父親は「ホームランバッターではなく、守備を磨こう」と言って練習をしていきました。
そのため最初の頃は練習でバットをほとんど使わず、とにかく捕球練習をたくさん行っていたそうです。
チームの練習がない日もグラウンドで練習をした。
中野選手の父親は、チームの練習がない日も中野選手と共にグラウンドへ行き、練習をしていたそうです。
さらに、自宅に帰ってからも中野選手は壁当てや、父親と捕球練習を行なっていました。
当時の練習の成果もあって、現在では守備範囲の広さに定評のある選手へと成長しており、2021シーズンには遊撃手としてリーグ1位の補殺数・刺殺数を記録しています。
中野選手が父親の夢を叶える
上述した通り、中野選手の父親は阪神タイガースの大ファンでしたが「高校野球で拓夢に連れて行ってもらいたいから」という理由で甲子園球場へは足を運びませんでした。
その父親の夢を中野選手は高校2年生の時に叶えてあげています。
中野選手は当時、日大山形高校野球部に所属しており、2年生の時に甲子園出場を果たしています。
そして初めての甲子園で日大山形高校野球部は山形県勢初の全国ベスト4入りを達成しています。
一緒に練習してきた父親の夢を叶えてあげたいと言う思いが当時の中野選手にはあったのかもしれません。
さらに、中野選手は2020年のドラフト会議で阪神タイガースから指名を受け、契約を果たしました。
中野選手の父親も、まさか自分が必死になって応援していたチームに息子が加入するとは、夢にも思わなかったでしょう。
野球を通じて親孝行を果たした中野選手には脱帽ですね。
中野拓夢の母親
中野選手の母親は節子さんと言う方です。こちらも父親の茂明さんと同様、職業や年齢は明かされていません。
中野拓夢の母親との思い出
中野選手は2021年の母の日に節子さんとの思い出を聞かれ、「よく一緒にラーメン屋に行った」と答えています。
節子さんはラーメンが好きなようで、中学生の頃にはラーメン屋に連れて行ってもらったそうです。
中学生になると思春期で親との時間を敬遠する子供も多い中、中野選手は家族団欒のひと時を大事にしていたそうです。
家族との暖かさが感じられる素敵なエピソードですね。
中野拓夢が母親へプレゼントを贈る
2021年の母の日に、中野選手は母親へ向けて、「プレゼントはあまりしてこなかったですが、この間のホームランボールを母の日に送りたいなと思います。」とコメントしています。
実は中野選手の母親は、息子の試合を観戦してその時のプレーやスコアを記録していたそうです。
中野選手と母親の素敵な家族愛が垣間見えるエピソードですね。
中野選手の名付け親は母親
中野選手の名前は母親が名付けています。
母親は「夢」と言う字を好んでいたそうで、子供ができたら絶対に名前に入れたかったようです。
そして、夢を切り拓く人になって欲しいと言う理由から拓夢と名付けられました。
実際に中野選手は、甲子園出場や阪神タイガースへの入団など、自らの手で夢を切り拓き叶えて行っています。
その姿に名付け親である母親も相当嬉しいのではないでしょうか。
また、中野選手の応援歌には「夢を拓け」と言うフレーズも出てきており、中野選手本人も「背中を押してもらえる」と発言しており、応援歌に愛着があるようです。
中野拓夢の兄弟仲は?
中野選手には兄と姉が1人ずついますが、名前や何をされている方なのかなどの情報はありませんでした。
2人とも一般人であるため情報は公にはされていなようです。
しかし、中野選手の家族は一家揃って阪神タイガースファンであったため、現在の中野選手の活躍を応援しているのではないかと思われます。
中野拓夢の出身中学・小学校は?
中野選手の出身小学校と出身中学校ですが、
-
出身小学校:天童市立天童北部小学校
-
出身中学校:天童市立第二中学校
になります。
上述した通り、中野選手は小学4年生の頃に野球を始めているため、天童小学校が中野選手のルーツだったと言えます。
また、中野選手は中学の頃は部活には所属することなく、「山形シニア」と言うチームに所属していました。
現在と同様、中野選手は当時から守備の能力を買われ、主に遊撃手としてチームで活躍していたそうです。
中野拓夢の実家はどこ?
中野選手の実家は山形県天童市です。
WBCや阪神タイガースでの活躍ぶりから天童市は大変な盛り上がりを見せています。
例えば、天童市の果樹園は中野選手がベストナインを獲得した記念として、特産品の果物を特別価格で販売しました。
その時に、限定販売された数は中野選手の背番号にちなんで51セットだったそうです。
これからも天童市の星として中野選手からは目が離せません。
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